Polly put the kettle on マザーグースより

Polly put the kettle on,

Polly put the kettle on,

Polly put the kettle on,

We'll all have tea.

 

Sukey take it off again,

Sukey take it off again,

Sukey take it off again,

They've all gone away.

 

ポーリーやかんをかけてね

さあ、お茶にしましょう

 

スーキーやかんをおろしてね

みんな帰ったわよ

 

 

 

もともと、インドや中国で親しまれていた紅茶がイギリスへ渡ったのは17世紀。大航海時代に設立された、東インド会社によってもたらされました。

紅茶ブームは瞬く間にイギリス国内に広がり、王侯貴族はもちろんのこと、18世紀には庶民の間でもお茶の時間が習慣化されていきました。

 

さて、大航海時代の貿易のお話もとても面白いのですが、今回は日常の風景に溶け込んでいったお茶の文化を、違った視点から見ていきたいと思います。

 

 

口伝えの歌

口承文学という言葉を聞いたことがありますか?日本で言えば、桃太郎、浦島太郎のような口伝えのみで後世に残った、いわゆる昔話または民謡のことを指します。

イギリスの代表的な口承文学といえばマザーグースナーサリーライム)で、ロンドン橋落ちた、などが有名です。

冒頭の歌もその一つで、楽譜付きで最初に出版されたのが1803年なので、18世紀にはすでに民間で歌われていたものと思われます。

 

We'll all have tea

1番の最後の歌詞にWe'll all have tea、2番はThey've all gone awayなので、おそらく人を招いてのお茶会の歌です。

 紅茶が東洋の珍品ではなく家庭の飲み物になったのは、ジョージ1世の時代(1714-27)からでした。

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当時コーヒー・ハウス(今でいう喫茶店)も大流行していて、コーヒーをはじめとするチョコレートやシャーベットなど貿易によってもたらされた品々を前に、人々は歓談しました。

ただし、それはあくまで男性の社交の場。コーヒー・ハウスは女人禁制となっていたため、女性の方では紅茶が家庭的な飲み物として根付いていきました。

 

とはいえ、18世紀後半までは紅茶は非常に高価なものでした。召使にすら触らせなかったということなので、まして子供に扱わせるということはなかったと思います。

紅茶がもっと身近な飲み物となる転機は、1784年のウィリアム・ピットによる減税法でした。減税によって一気に需要が跳ね上がり、そこから紅茶は庶民へ波及していきます。

 

あくまで私の考えですが、”Polly put the kettle on”も18世紀末、紅茶が庶民に「開放」されてから生まれた歌ではないかと思います。お茶の時間を、大人も子供も楽しめるようになった、時代の賛歌のように感じます。

 

歌詞の内容

お母さんが、PollyとSukeyという2人の娘にお茶の手伝いをさせています。キッチンの会話が微笑ましく、お茶の時間らしいかわいらしい歌です。でも、名前を3回も呼んでるあたり、もしかしたら全然言う通り動いてくれなかったのかも?

1番ではP、2番ではKで韻を踏んでいて、とても心地よいリズムの歌です。シンプルな繰り返しの歌詞なので、子供は替え歌にしそうですね。

 

メロディはこちらの動画で。

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